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SINCE Feb, '06

June 10 2007
Grace Potter

Wakarusa
07 Vol.3
(今日もGrace)


今朝も朝からJ&S Coffee。しかし、お目当てのTarah は非番。
それからGrace。こちらのメニューは昨夜とほぼ同じ。新曲が1曲、増えていたていど。午後1時半からのパフォーマンスであるにもかかわらずエネルギッシュ。若い。彼らの「あざとさ」に抵抗がないのは、Tom Petty &the Heartbreakers の「あざとさ」に抵抗していないのとは少し違う。
客席には(わたしと同じような)オヤジたちばかり。彼らはGrace に Bonnie Bramlett でも見ているのだろうか? わたしは・・・・若くて少し太った女の子が好きなだけ。あるいは Phish のメンバーと同じような気持ちで Grace を見ている。それでも彼女の今日の皮パン姿に少しがっかり。
 
フェスティヴァル最終日ともなると少し忙しい。
Grace の後は Little Feat。それからNew Monsoon のときに Railroad Earth のTim Carboneが出演するのでそちらを覗き、Medeski, Martin & Wood。大トリの Les Claypool はあきらめてSam Bushのステージへ。
Little Feat の演奏は、それがはじまったときのバラバラ感からひとつに固まっていくプロセスが本当に楽しい。Bill Payne だけが最初からしっかりしていて、Paul Barrere と Fred Tackett はフニャフニャ。それがだんだんとしっかりしていくのだからオモシロイ。ただShaun Murphy だけはいらない。彼女がなぜFeat に参加しているのか、意味がわからない。こんな余計な力任せのヴォーカリストなどいらない。彼女がバンドに参加できているのは、メンバー全員の弱みを握っているからだろうか? 30年ぐらい前に手を出した・・・・とか? そんな下世話な想像をしてしまうほどShaun Murphy ひとりで、わたしの美しく楽しいLittle Feat の音楽との思い出を打ち壊してしまう。
 
Medeski, Matin & Wood のパフォーマンスはいつも新しく刺激的。
ステージ袖にはRailroad Earth のメンバーや the Nocturnals のメンバーが全員揃った。
 
Grace Potter
Grace は Little Feat が終わったころ(午後4時過ぎ)に会ったら、すでに酔っ払っていて、Medeski, Martin & Wood のパフォーマンスが終わるころ(午後8時)にはワイン・ボトルからウィスキーのボトルを小脇に抱え、アイスクリームを食べていた。太る原因はこれ、ね。
 
わたしはSam Bush だけのステージをはじめて観る。数年前、Doc Watsonのパフォーマンスに飛び入りした彼を観たことはあったのだが・・・・。Sam Bush の自身のバンド(Sam Bushを含めて4人編成)を引き連れての演奏は、わたしにはまったく想像ができないものであった。わたしは彼の指の動きを見逃さないために最前列に陣取り(その距離は2メートル)、久しぶりに味わうワクワクした気持ちで彼の登場を待っていた。
たしかにSam Bush の右手の動きは早かったが、それ以上に彼が全曲歌ったことのほうにわたしは驚いてしまった。後半はBob Marley メドレー! おそらくは数曲、インストゥルメンタルを含むだろうと予想していたのだが・・・・バンドもそつなくうまかったし・・・・でも、キャラクターが際立たない分、ブルーグラスやカントリーのセッション・バンドをイメージしてSam Bush のマンドリン・ショウになることをわたしは予測したのだ。ところが、彼はマンドリン・ショウを意識しながらも歌を披露し、その上でバンドを煽っていった。バンドの技術が高いことは大切なことだが、それ以上に各メンバーの技術が平均的であることも大切なこと。ひとりが高揚していくと、どんどんとグルーヴが広がり、やがて大きなうねりができる。Sam Bush はそんな当たり前のことを、「当たり前」のことほど難しいのだが、簡単にやってのけるSam Bush はマンドリンの腕前だけが偉大なのではなく、プレイヤー、それからバンドやシーンの牽引者としても大きな存在であること、それに「あざとさ」など不要であることをわたしは確認した。


June 09 2007
J&S Coffeeの
Gretchen(左)とTarah(右)

Wakarusa
07 Vol.2

いつからか、Wakarusa の朝はJ&S Coffeeと決まっている。
早朝の会場をひっそりと抜け出し、15分ほどドライヴすれば、そっけないコンプレックスのなかにJ&S Coffeeがある。

朝6時半から午後1時までのコーヒーハウス。5、6人の女性と男性1、2人ほどのスタッフがシフト制で働いている。この日はGretchen(左)とTarah(右)。Tarahは以前、東京の町田に住んでいて桜美林大学に通っていたらしい。
わたしの家と(比較的)近い! そのころ、出会っていればよかったのに・・・・。
わたしはJ&S Coffeeで携帯電話やPC、カメラなどの充電をし、メールをチェックしてから会場へと戻る。

Tea Leaf Greenは(昨年から)進歩なし。Railroad Earth のパフォーマンスは昨日と比較にならないほどよかった。メンバーの集中力、選曲、インプロビゼーション時のバンドの想像力は完全に会場(Revival Tent)をひとつにした。このバンドの調子は Tim Carbone によるところが大きい。
Grace Potter

バック・ステージにString Cheese IncidentのBilly Nershiが来ていた。4月に
Boulderで会ったときには無視してしまったので、少しだけ気になっていた。BoulderからWakarusaまでは300マイルほどなので遊びに来たとか・・・・彼はRailroad Earthのメンバーと本当に仲がいい。だから今日は、ちゃんと挨拶した・・・・というか、Johnny Grubbが無理やり紹介したのだが・・・・。
オヤジたちばかりの中にいても仕方ないので、昼食を取りにメーン・ステージの裏へ・・・・すると女性2人、男性1人の後姿を発見。真ん中にいるタイト・ミニの女性。そのお尻は、どう見てもGrace Potterである。
「わたしも遂に女性のお尻で見分けられるようになったか! ムフフ・・・」と思いながら声をかけた。
ボディコンの少し太めの女性とハグするのは悪いものではない。ムフフ・・・・。Graceは少し太ったか?
彼女は先日、日本のインタヴューを受けたと話していた。インタヴュアーはずっとわたしになると彼女は思い込んでいたらしいが、わたしは、日本では「本格派」と思い込まれているアーティストのインタヴューをできるほど立派なライターではない。
Graceは雑誌名を忘れてしまっていたけど、「日本のローリングストーン誌だって」といっていた。わたしはロッキンオン誌だと知っていたけど、わたしの知っているローリングストーン誌とロッキンオン誌の両方がうまく結びつかなかった。前者は15年ほど前まではときどき立ち読みしていたけど、芸能誌みたいになってきたので、もうブック・スタンドで手に取ることもなくなってしまった。後者は一度も見たことがない。ロッキンオン誌(そのインタヴュアー)が一体、いつの時代のローリングストーン誌だといっているのか興味を持った。
 
Grace Potter and the Nocturnals は Wakarusa 07 で2度、ステージに立つ。今夜と明日の午後、最初のステージ。最初の夜は彼女たちのパフォーマンスのときにメーン・ステージではWildespread Panic が演奏していたが、どうせBonnarooにも出演するからと思いGraceをわたしは選んだ。たぶん・・・・彼女のライヴを観るのは去年のBonnaroo以来。the Nocturnalsの演奏がだんだんハードになってきているのは知っていたけど、ここまでCrazy Horseみたいだとは思わなかった。
the Nocturnals はもともとジャズっぽい演奏を得意としていて、以前は変調もとても多かったし、Bryan Dondero はずっとウッド・ベースを愛用していた。Grace自身はB-3とGibson J-45を担当していたが、B-3の割合のほうがずっと多かった。ところが今は、Bryan はエレクトリックしか使わなくなったし、Grace はJ-45を持たなくなった。彼女はFlying V を2本(1本はスライド・ギター用にオープン・チューニングしたもの)使い、B-3との割合はほぼ半分ぐらい。ステージでFlying V を持って(ミニ・スカートで)暴れまわり、the Nocturnals の演奏はとてもハードでヘヴィ。パフォーマンスの後半にはMatthew Burr のドラム・セットの右端においてあるシンバルを投げ飛ばすアクション(まぁ、それ用のシンバルなのだが)もあり、かなりエキサイティング。Graceがギターの弦を切るとメニューを突然切り替えて「Nothing but the Water」へと入る(このあたりも打ち合わせ済みのようであざとい)あたりもスリリングな印象を与える。
 
Grace Potter
この日、わたしはGrace がタイト・ミニの下に黒のレギンスをはいているのを発見した。
スカートの下のレギンスが象徴しているように、すべてが用意周到なのだ。それでもわたしは、あざとくてもかまわないと思っている。Crazy Horse だって、Tom Petty & the Heartbreakers だってあざとい。わたしはその「あざとさ」のなかへ入っていけるか、否かを問題としている。
Grace Potter and the Nocturnals はまだ自身のあざとさのなかにまではいっていけてはいない。ただ自分たちの演出に酔いしれているところをわたしはとてもかわいく感じている。


June 08 2007
Wakarusa
07 Vol.1

John Skehan

日本での仕事をほとんど無視してきたはずなのに、今回の渡米スケジュールはとてもゆったりとしている。
正午前に Wakarusa Music Festival の会場に到着。先に関係者の人たちへのあいさつを済ませてから、テントを張ると・・・・ 1年ぶりなのに、迷わずテント張りに成功。 10年前に友人たちと共同で買ったテントの張り方が(旧式のものだったので)難しく、それがトラウマとなって現代的なテントの組み立ても困難なものだとわたしは勝手に思い込んでいる。何度もこの「現代的なテント」を使用しているにもかかわらず・・・・今回も、このテントが一番の不安材料だった。自称「にわかアウト・ドア派」(ライヴを中心に音楽を聴く派?)も 20年近くになると(現代的な)テントなんてお手の物・・・・だ。

6月の Kansas City は雨季が終わったばかり。雨天の心配がいらないことがこのフェスの一番の魅力。今日は風が少し吹いていて、上半身裸だと少し寒く、でも Tシャツを着ているとちょうどいい。今年はなぜかバック・ステージの裏にテントを張れといわれて、そこはとても緑が多くて(会場全体に緑が多いのだけど)、とても心地いい。おまけに出演者用のケータリング・エリアの隣なので、「しめしめ、メシメシ」と思いながら、まずはアイスクリームを食べながら読書の時間と決め込んだ。すでにメーン・ステージでは Perpetual Groove の演奏がはじまっていて、読書の BGM にはちょうどいい。 1時間ほど経ってから、JJ Grey の声が聞こえてきた。 JJ Grey は何度も観ていて、イマイチ、彼のソウル・ミュージックには馴染めなかった・・・・けど、こうして少し離れたところから聞いている分には申し分のない音楽。そういえば、昨年の 10K Lakes Fest でも Umphrey’s McGee を聴きながら眠りについたら、とても気持ちよかった。ときには「距離をおく」というのもいいもの・・・・ JJ Grey のバンドにはホーンがふたり加わっていた。以前も入っていたか・・・・思い出せないけど、今年は少し違う感じがしたので、あっさりとした? 肩の力が抜けた? あるいは彼自身、リズム&ブルースをあまり意識しなくなって、その分、とてもソウルフルになったように思えたので、重い腰を上げてステージへと向かったら・・・・ Railroad Earth のメンバーがちょうど会場入りしたところだった。 JJ Grey の次が彼らの出番だったことを忘れていた。バンドのメンバーと遊んでいたら、 JJ Grey のステージを見逃してしまった。

Jonny Grubb

Railroad Earth というバンドは演奏がすばらしい日とそうでないときが明確に分かれている。まぁ、たいていのバンドはそうなのでけれど、 Phish や Bob Marley(なぜか突然、彼の名が頭に浮かんだ)、 Neil Young や Wakarusa 07も出演する Little Feat のように演奏の途中からぐんぐんとよくなってくることはない。ダメなときはダメなままだ。ただ演奏技術が標準よりも高いのでダメなときでもそれなりにまとまっている。何度かこのバンドのライヴを観ないと「ダメな日」がわからないぐらいに・・・・。わたしが彼らをバランスのいいバンドだと評するのは、きっとそのような特性を持っているからなのだろう。で、今日は「ダメな日」。まったく集中力に欠けていた。まぁ、そんなこともある。メンバーたちやクルーもそのことはちゃんと理解している。「おとな」のバンドという感じがする。

他人のことを「集中力に欠ける」というわたし自身も(今年の Wakarusa は)ダラダラとしている。 North Mississippi All Stars のステージは最後まで観ることができなかった。新しいバンドを探そうという気はまったくなくて・・・・困ったものだ。そのあとは Galactic。バンドが目指そうとしているところや形態は大好きなのに、いつもこのバンドにはのめり込めない。ハネ過ぎるドラムが嫌いなのか? 爆発することがない(リズムの弱い)ギターが嫌いなのか? 自分でもよくわからない。
JJ Grey は Galactic のステージにも、North Mississippi All Stars のステージにも飛び入り参加した。やはり、想像していた通りよかったけど、彼自身のステージではどうだったのか・・・・わからない。
初日のメーン・アクトは Ben Harper だった。
彼のパフォーマンスも(この数年)「わたしのなかへ入ってこない」ことは充分に理解していたけど、他にやることがないので、観た。
今年の Wakarusa はわたしたちのような(中途半端な立場の)人間はステージの最前列で観るように定められていて、その後ろが VIP エリア、そして一般のエリアとしっかり区切られるようになった。もちろん、わたしたちは一般のエリアで観てもかまわないのだけれど、それだとかなり後方のほうまで行かなければならず、最前列しか残されていない。ステージが 1メートル50ぐらいの高さがあるので、最前列というか真下に近い感覚。ここだと音響もよくない。ただ Ben のようなアーティストだとアコースティックの生音が聴こえる可能性があるので・・・・でも、無理か? やっぱり。
この席の特権は Ben の右手の細かな動きを観ることができる。で・・・・本当に、うまい!
わたしは常日頃から、「どうしてもっとギターを弾かないのだ」と Ben のことを思いつづけていたが、そのことが余計に強くなる・・・・でも、これだけできるヤツなら、たいていのギタリストなど不服に感じると思うけど・・・・。

Ben Harper

Ben Harper は内田樹風にいえば、「知性」のあるアーティストだ。
彼は自身をマッピングできている(あるいは、できているかのようにみせている)。つまり、自分が何者で、何ができ、どこへ向かっているのか、を明確化しているアーティストということになる。とても「エライ」。彼がそれらを実行できたときにオーディエンスが急増し、わたしのなかでの彼の存在が希薄なものとなった。なぜ、そうなったのだろう。きっとわたしのなかにある Ben Harper と彼自身が明確化したものが違っていたからだ。「明確」にしたことと彼が(自分自身について)「把握」したこととは意味が異なる。わたしには Ben が自分は何者で、何ができ、何が不足していて、どこへ向かっているのか把握していないように思えてならない。明確化した(自信に満ちた)姿を露にすることで、それができていない人(彼の場合はオーディエンス)から支持を受ける。それが観客の急増へとつながっていった・・・・しかし、彼が向かう方向へいったとしても、そこにはきっと何もないだろう。
シリアスな表情で熱演する Ben の顔を観ていると、彼に似た表情でうたうもうひとりのシンガーを思い出した。 Jackson Browne だ。



June 07 2007
the Doctor

Tom Johnston

Denver からKansas City へと向かう飛行機の席は2Bであった。わたしが搭乗したのは最後の方で、すでに1B の人が座っていた。彼は雑誌を読んでいて、うつむいていたのだが、左手のタトゥーが目に入った。七部袖のベースボール・シャツからそのタトゥーの内側だけが覗いていた。男の髪型も、当然、わたしは確認した。

「どこかで見たことがある」と必死で思い出そうとしていたら、そのまま深い眠りに落ちてしまった。離陸も、着陸もわからないほどに。隣にいたおじいちゃんがわたしを起こしてくれた。そのときはもう前列の人たちはいなくて、わたしが先頭だった。荷物を取りにいったらベースボール・シャツの男がいた。もうその男のことは忘れていたのに、自分でも不思議なくらいに、とても自然に「 Tom Johnston じゃないですか?」と口から出てしまった。同時に、わたしのなかの記憶が鮮明に蘇り、 Wisconsin の Alpine Valley からNew Jersey の PNC Bank Arts Center まで Doobies のツアーしたときのことや彼らのワイナリーへ行ったときのこと、 Oakland の Henry J.Kaiser でのツアー・リハーサルのことなど、自分でもびっくりするぐらい記憶が湧き出てきた。オマケに、もう 20年以上は聴いていない Doobies のアルバム『 Cycles 』というタイトルまででてきて・・・・きっと、まだ寝ボケていたのだ。彼はわたしのことなど憶えていなかったけど、そのときわたしと一緒にツアーした Henry Diltz のことはなんとなく記憶していて、アルバム『 Cycles 』のときに自分が Doobiesに復帰したことは明確に憶えていた。
彼が Kansas City へ来たのはリハーサルのためだったようだけど、わたしは自分の「記憶」のことへ、すぐに興味を移してしまった。



June 06.07
さんまも年をとる


TV「明石家さんちゃんねる」を見ていたら、明石家さんまが「オレたちひょうきん族」の終了秘話を突然話し出した。それは千原ジュニアが、「楽屋でこどもの話をする芸人ほどつまらないものはない」という話を受けてのものだった。つまりジュニアは(わが子がかわいいばかりに、人間的に)角が取れていくことは、笑いが倦怠へと向かうことを意味しているという。芸人は家庭に幸せを求めるのではなく、「笑い」だけが自分自身を至福にする・・・・という論理だ。
わからなくはない・・・・人間、なにもかもを得られるものではないから。
それにしても、明石家さんまには驚いた。
過去の楽屋落ちをすることにも驚いた(彼も年を取ったということだろう)が、その内容はさらに驚かせるものだったが・・・・というか、予測はしていたのだが、それを明確にさせるたことにわたしは驚いてしまったのだ。
内容は、番組終了の決定権を明石家さんまと北野たけしに一任すると関係者が申し出、その席で、島田紳助らが個人の経営する店の「上がり」のことを話していたために明石家さんまが「止めよう」といったのだ。
いかにも、自称「笑い」のことにしか興味を持たない男の決断。潔い。
わたしはこのことを知らずに、直感的に島田紳助が出演する番組を避けていた。彼のことをどうしても「笑い」が好きだとは思えなかったから。

「オレたちひょうきん族」は毎週水曜日に収録されていた。
当時、わたしはラサール石井の連載を口実筆記する仕事をしていて、毎週水曜日にフジテレビのタレント・クロークでラサール氏の「待ち」の時間を利用して行っていた。ちょうど「ラブユー貧乏」のコーナーが人気のときで、わたしはそれを生で観ることだけを期待していたが、その記憶は今となっては・・・・ない。そのころのことで記憶しているのは、(憧れの)風祭ゆきとスタジオですれ違ったことぐらいである。タレント・クロークにもたくさんの人がいたけど、ほとんど何も憶えていない。石井光三がわたしを捕まえてはいつも冗談をいっていたことは記憶しているが、その内容は・・・・忘れてしまった。彼が高瀬ぎん子の義理の息子だと知ったのは後年のことで、高瀬ぎん子のことをいろいろ聞けばよかったと悔やまれる。

明石家さんまや島田紳助らの世代は吉本新喜劇(若手芸人の登竜門的役目もはたしていた)に出演することを拒否したと「マンスリーよしもと」誌かなにかで読んだ記憶がある。しかし明石家さんまやオール巨人阪神は出演していたようだが・・・・「花の駐在さん」シリーズがそれだったように思う。わたしの記憶のなかでは島田紳助だけが新喜劇の舞台に立っていないようだが・・・・もちろん(わたしはもう東京に住んでいたので)そのことは定かではない。後に、まだ新人時代のダウンタウン浜田雅功が新喜劇を勉強をしていたと聞いたことがあるけれど、当時の松本人志(の才能)の絶賛のされ方を知っているものなら、だれもが浜田の行く末を心配したことだろう。きっと彼も自分が生き残っていく道は新喜劇にしかないと思っていたのかもしれない。


April 04 2007
Page McConnell
サウンド・チェック時のPage McConnell
 
1年ぶりのNew Yorkだというのに、またしても朝からどしゃ降り。しかも寒い。4、5度ぐらいしかないんじゃないの?
いつものようにGramercy Area に宿泊していて、で、やっぱりコーヒーを飲みながらダラダラと過ごすことにした。3時ぐらいに小雨になったので、今夜、Page がショウをする Gramercy Theatre ってどこだ? とネットで探してみたら、宿泊しているところから2ブロックしか離れていない Irving との角にあった。Gramercy Theatre は20年ほど前は映画館だった場所。23rd St.の再開発・・・・といっても開発するようなところはなかったけど・・・・5th〜7th Aveの23rd 沿いには大型チェーン店が数店舗できたみたいだけど・・・・あまり興味がない。
コーヒーを買いに行くついでにTheatreを確認しておくとサウンド・チェックの音が聞こえたので、そのままなかへ入っていくとうまいぐあいに Page と出くわした。彼の話によると、そのときはわたしが知っているクルー(Phish関係)は照明の Chris Kuroda ぐらいだったそうだ。「後でだれか・・・・来るかもしれないけど」といっていた・・・・きっと、彼のバンドもそんな感じ・・・・だから、本番を楽しみにサウンド・チェック は観ないでホテルへ戻った。それから昼寝・・・・。
 

Jered Slomoff(左)とPage

Showcase・・・・というカタチで開かれたPage McConnell のライヴは午後8時から。7時過ぎに目を醒まし、会場へ。シートに着いたときには、まだ寝ボケていた。
Pageの新しいバンドはキーボードとギターのJared Slomoff、Deep Soda のRob O'Dea、Adam Zimmon、Gabe Jarrett という5人編成。Trey の2004年から2005年にかけてのバンド、70 Volt Parade とほぼ同じ編成で、その初期のころに酷似しているという印象を受けた。そういえば、Pageの前のバンド、Vida Blueもキューバン・ミュージックとロックンロールの融合というアプローチで、Trey が the Octet や the Dectet で挑んでいたアプローチと同じだった。ただ Trey はとても感覚的で、Page は論理的。理論を構築してから行動を起こす Page が Trey の後発になるのは当然のことで、Page が Trey を真似たということにはならない。そう、Page の新しいバンドは 70 Volt Parade と同じでロックンロールへのアプローチ。
Page のバンドはまだ2回しかパフォーマンスをしていない。彼自身も新しく用意したキーボードを完全に使いこなせていない。だからサウンドも、バンドも固まっていない。この日もPhish 時代の「Strange Design」(encore)以外はすべて新作『Page McConnell』からの9曲であった。時間にして2時間弱。まだまだこれからという感じ(10本ほどのツアーが決まっているので、わたしはどこかで彼のライヴをもう1、2回は観ようと思っている)。Page のこれまでの仕事から、彼はもの凄く信用のおけるアーティストのひとりだし、その音楽に教養が滲みでている。「教養が見え隠れする」というのとは、またちょっと違う。だから、Pagenoライヴに足を運ぶことは、それがたとえ失敗だったとしても、わたしは後悔などしない。
 
ところで、わたしはまだ彼の新作『Page McConnell』を聴いていない。Phish 時代からずっと思っていたのだけれど、彼の作る曲はとてもメロディアスで美しい。ソングライターとしては、はるかにTreyを上回っている。 


April 03 2007
Allman Bros. at Beacon Theatre


2007年、最初の渡米はAllman Bros・・・・か!?
うーん。まぁ、日本にはサザーン・ロック・ファンも多いことだし、Derek Trucksの人気もEric Claptonのおかげで急上昇。ついでに、出発直前にWarren Haynes率いるGov't MuleがFRF出演というニュースまで飛び込んできたので、Allman Brosを観ておくのも悪くはないと思いはじめてきた・・・・けど、今ひとつ力が入らない。

そんなわたしの気持ちがUAに連鎖した(?)のか、Chicagoで2時間の遅れ。余談だが、昨年秋からこのエアラインは成田〜JFKの直行便を取りやめ、ANAとの共同運航便だけを残した。ANA便は朝11時発・・・・それはちょっと辛く、その上にANAスチュワーデスの作り笑顔を見なくてはいけないなんて、朝食をMcDonaldで取るようなものだ。まだ無愛想な年寄りスチュワーデスばかりのUA便のほうがまし・・・・だと考えたので、Chicago経由にしたら、そこからの便が遅れてしまった。

La Guardia空港に到着したのは午後7時半。Beacon TheatreでのAllman Brosのショウは8時にはじまる。だれが、どう足掻いてみたところで間に合いそうもなかった。問題は、先にNew Yorkに到着していた友人Tが持つわたしの分のチケットの受け渡し方法。すでに諦めていたわたしはTに「だれかそのへんのヤツに売れ!」といったが、「だれかみたいに留置所には入りたくない」と簡単に断られてしまった。T によると会場の窓口、隣接するホテルやレストランもチケットを預かってはくれなかったという。T が会場入り口横にある植木鉢の裏にチケットを挟んでおくと提案した。なんともT らしい悪ガキっぽいアイディア。まぁ、盗まれてもともと。わたしは大きなスーツ・ケースを持って会場へと直行した。
Beacon Theatreへはみごと! 8時15分に到着。もちろんタクシーなどには乗らず、一番安いM60のメトロ・バス。それからチケットをピック・アップ(?)。隣接するBeacon Hotel へスーツ・ケースを預かってくれと頼み込み、渋々承諾させてから会場入り。30分遅れでシートに着いた。この素早さは全盛期Eric Clapton の右手を軽く上回る。自分でも惚れ惚れするほど。しかしこの日、ステージ上にはわたしを超えるほどの軽やかなステップを踏む男がいた。ベースの Oteil Burbridgeだ。
 
Oteil Burbridge
Oteil が1st.set の最後でみせたベース・ランニングは最高だった。ゲスト出演のHoward Johnson(Baritone sax)とのベース・デュオは、この日、テーピングをしていなかったわたしに奇声を上げさせた。Oteil はHoward Johnsonの周りをグルグルしながら、まるでなにかの祭事のようなステップを踏む。このプリミティヴな彼の演出がわたしは好きなのだ。Derek Trucks が苦手なのは、彼の中途半端な教養がそのプレイに出てしまっているからだ。Warren は、Derekよりも教養がないので、まだついていけるけど・・・・。Oteil のプレイには教養という現代的なものはなくて、原始そのもの。だから、わたしには心から楽しむことができるのだ。
音楽に中途半端な理論を持ち込むことほど愚かなことはない。もともと Allman Bros.とはそういうものを排除したバンドではなかったのか? だから若いときのわたしは好きにはなれなかった。それとも北部の白人やイギリス人たちが憧れる程度のプリミティヴさだったのだろうか・・・・今日のAllman Bros.を観ていると北部の白人たちを簡単に騙す程度のものだったように思えて仕方がない。


February 03 2007
森茉莉 Vol.2


茉莉の好物コーラのカップ
「北沢川文学の小路」物語の発行・編集の場所は、「J」という喫茶店内にあった。「 J 」はわたしが通う整骨院の近くで、S マンションとの中間地点。住宅街にある昔ながらの純喫茶・…で、下北沢に乱立する「まったりカフェ」に飽きてきた感があったので「 J」を訪ねてみることにした。

老父婦とその娘(?)が営む「J 」の店内は骨董品らしきランプや時計、火縄銃、とっくりなどが所狭しと並ぶ。イスやテーブルも小さく、そういえば昔の喫茶店はこういう感じだったと思い出させてくれる。もう 40年以上も営業をつづけているらしい。日本橋あたりにある喫茶店に比べれば、まだまだ新しいけど、この移り変わりの激しい北沢界隈では、わたしの知る限り、「 M」とならぶ最古参のはず。森茉莉もこの「J 」によく来ていたという。彼女はこの店で編集者と打ち合わせをし、原稿を書いていたと店主が教えてくれた。壁には「茉莉はコーラが大好きだった」と張り紙をした昔のコーラのカップ(写真)があった。最近ではケラがよく来るらしい。店主はそんな話をたくさんしてくれた。彼は坂口安吾が住んでいた大田区にある家の門、それから、(誰だったか忘れてしまったが)小説に出てくる(世田谷区内にある)鉄塔などの保護活動をしているという。わたしは昔、 Sマンションに住んでいたということを打ち明けると、彼はそんな話をどんどんと仕掛けてきたのだ。店主は文学オタクであった。

彼の夫人を交えての戦後の北沢界隈の話はとても楽しかった。わたしもすでに四半世紀以上はこの町に住んでいるのだけど、金子マリさんや片岡義男さんらにそれ以前の北沢の話を聞くことはとても楽しいし、 TVドラマ「太陽にほえろ」の再放送などで昔の井の頭電車などが映ると自分が生まれ育った町ではないのに、なぜか懐かしさを感じる。老夫婦の話によると戦前の代沢あたりには牧場がたくさんあったらしい。 TVドラマ「下北サンディーズ」で、藤井フミヤが演じた男は気に入った劇団があると牛乳を差し入れしていた。そのビンには「北沢牧場」とプリントされていたが、それもまんざら空想の話ではなかったようだ・・・・というか、あのどうしようもないストーリーのなかにも真実があったことにわたしは驚いてしまった。

ずっと美空ひばりの歌声が店内に流れていた。

店の奥には「美空ひばり部屋」があり、そこにはSPレコードやCD、LD などがたくさんあった。すべて揃っていたのか、どうかまではしらない。小林旭との結婚式の引き出物であったらしいふたりの写真までがあった。そういえば、わたしが Sマンションで暮らしていた1989 年に美空ひばりが他界した。わたしがニューヨークから帰ったその日、友人が近くに塩沢ときのようなおばちゃんが朝まで営業している居酒屋をみつけたから行こうと誘ってきた。わたしたちが店に入ると「美空ひばり他界」のニュースが流れ、劇団員風の(オカマっぽい)男が「悲しい酒」を歌って、本当に泣いた。「わぁ、本物みたい!」と思ったけど、わたしは声に出していうことができなかった。

美空ひばりコレクションは夫人のものだった。彼女は押し花の用意をしながら、「北沢川文学の小路」物語に掲載したこの辺りの写真はすべて自分が提供したものだとオヤジの文学オタク話の合間に強調した。彼女はイチゴの押し花の作り方を教えてくれたけど、わたしの集中力はとっくになくなっていた。気がつくと 3時間以上は「J」にいることになっていたのだから。店を出ようとしたら店主が、「茉莉が 1時間以上も喋っているカセット・テープを入手した」ことを教えてくれた。「今度、一緒に聞きましょう」といわれたが、今度は、少なくとも 6時間は覚悟しないといけないようだ。


February 02 2007
森茉莉

北沢川文学の小路

今年に入ってから腰痛に悩まされている。それで、毎日のように整骨院に通っているのだが、その待合室に「北沢川文学の小路」物語という小雑誌があった。世田谷区北沢、代沢、代田に住んでいた文学者らの足跡を紹介したもの。坂口安吾や萩原朔太郎・葉子らの項目があり、そのなかに森茉莉がいた。彼女が代沢に住んでいたことは知っていたけど、その小雑誌が彼女についてもっとたくさんのことを教えてくれた。

1980年代の後半、わたしは東京に住む家がなくて友人宅に居候していた。とてもジメジメしたマンションで玄関に入るとすぐに 3畳ほどの台所があり、台所と奥の6畳間に挟まれるように4畳半の部屋があった。それと、台所の端にユニット・バスがついていた。わたしは主に 4畳半の部屋で仕事をしていて、友人は6畳間にいた。友人は正午ごろに外出して、明け方まで帰らなかった。
わたしが友人宅に居候する前、彼はわたしの家に居候していた。そのときは 2年ぐらいで、わたしが彼の部屋にいたのは半年ぐらいだった。彼と一緒に暮らすことはそれほど苦痛ではなくて、今でも朝まで一緒にいることはめずらしいことではない。それでも彼との同棲生活(?)が終焉を迎えたのは、あるオカルト事件がきっかけだった。 日中から深夜にかけて4畳半の間で仕事をしていると突然、風呂釜のほうで爆発音がした。風呂の蛇口から勝手に水が勢いよく流れ出ることもあった。深夜眠っているとその蛇口が開き、その流出する水の音で目が醒めた。友人が帰ってきたのかな、と思ったけど、部屋にはわたしひとりだった。水道だけではなくてテレビも自動的に点き、砂嵐が映っていた。わたしはいつからか眠れなくなっていた。
そのころ大阪に住んでいた友人の奥さんと世間話をしているときに「こんなことがあった」というと、彼女は「(わたしの他に)だれか近くに文筆業の人が住んでない?」と聞き返された。彼女はそういうことに敏感で、わたしもそうらしく、友人は鈍感だった。近所の人に話を聞くと近くに森茉莉が以前このあたりに住んでいたことがわかった。彼女の妹・小堀杏奴も近く住んでいたと近所のおばさんに教えてもらった。
それからしばらくして、わたしは自分だけの部屋をみつけることができた。それで、すぐにオカルト事件のことも森茉莉のことも忘れてしまった。

「北沢川文学の小路」物語によると森茉莉はS荘に住んでいて、S荘は後にSマンションに建て替えられたとあった。わたしが友人宅に居候していたのは、まさにそのSマンション。そこの101号室で建物のちょうど中央だった。さらにその小雑誌には彼女がよく通っていた銭湯のことが(比較的)大きく取り上げられていて、もしかすると彼女はわたしたちの部屋へお風呂に入りにきていたのかもしれないなぁ、と思うと少し嬉しくなった。今は、ときどきSマンションの前を車で通る。もう森茉莉のことなど、すっかりと忘れてしまっていたのに・・・・でも、なぜか懐かしい。


January 24 2007

Annie Leibovitz & Susan Sontag

1月22日の朝日新聞夕刊文化面に Annie Leibovitz が the Brooklyn Museum で開いている「a Photographer's Life 1990-2005」という写真展についての記事が掲載されていた。このところ New York へ行く機会がなく、昨年は6月に1日だけ Manhattan にいたけど、あとは・・・・ Baffalo だったか?まぁ、 Manhattan は物価が高いので無意識のうちに敬遠していたのだろう。そんなわけで Annie Leibovitz のこともすっかり忘れていた。彼女の写真展も 2001年9月11日同時多発テロ直後に Seattle で「 Women」を観たきりで、その後の動向をわたしは一切気にしていなかったのだ・・・・ 2、3年前に写真集「American Music」を買って、Neil Young と Pegi の写真を見て、「なんでこんなアングルの写真があるんだよ!」と腹を立てた覚えはあったけど・・・・。

朝日新聞には Susan Sontag と(Annie Leibovitz との)娘 Sarah とのものがあった。眠っている娘を母? 父? 祖母? 祖父? である Susan Sontag が眺めているというもの。わたしはこの写真に惹きつけられて記事に目を通したのだ。最初は Annie Leibovitz の作品だなんて信じられなかった(ちなみにこのページにあるものではない。このページの写真は New York Times の webページから勝手に拝借したものだ)。彼女の作品の最大の特徴である無機質感とは対照的なものがそこにはあった。 Henry Diltz のものか? と思わせるものだ。Annie Leibovitz はその作品の通り、とてもクールな人。彼女がこんな写真を撮るなんて、本当に信じられなくて、web上で観れる限りのものを探した。そのなかにはSusan Sontag が担架に乗せられたままセスナに搭乗する作品もあった。日付けは彼女が他界する1ヶ月前(2004年12月28日他界)。こんなときにもレンズを向けるAnnieはすばらしい。若い写真家が売名行為で肉親の死を撮るのとはワケが違う。そもそもその作品からしてドキュメント風なのだ。思えば、1990年代のはじめにAnnieのスタジオでわたしはふたりが一緒のところを目撃したことがある。そのときは Susan Sontag が「Annie、お願いがあるのよ!」と部屋に飛び込んできたのだ。そのときも彼女は「ちょっと後にしてくれない?」って、とてもクールに振舞っていて、部屋に入ってきた女性がSusan Sontag だとすぐに理解したわたしのほうが異常なまでに興奮してしまったのを記憶している。そのときの印象から、こんな(朝日新聞に掲載されたような)被写体のなかへ深く入り込むような作品を Annie が撮るなんて想像もしていなかった。わたしは、粗悪な新聞の印刷に載せられた Annie の作品に彼女のやさしさをみたような気がした。

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